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文化・教育⇒デュッセルドルフ豆知識
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  デュッセルドルフ豆知識  
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概 要
デュッセルドルフはノルトライン・ヴェストファーレン (Nordrhein Westfalen=NRW) 州の州都である。同州はドイツの西部に位置しベルギーとオランダに隣接、人口は約1,750万人(2013年)で、これはドイツ全人口の約22%に当たる。ドイツ16州の中では最も人口が多く、かつ人口密度の高い州である。
デュッセルドルフの北東に連なるルール工業地帯は、昔から鉄鋼・石炭業の中心であったが、80年代以降の産業の衰退に伴い積極的に構造転換が進められてきた。この結果、機械・化学・金属加工・自動車工業の中心地となり、更に物流・ハイテク・メディアなどのサービス産業へと変換している。Eon社、Metroグループ、ドイツテレコム社などドイツ売上げトップ58社のうち16社が同州に本社をおいている。

デュッセルドルフ市の人口は約60万人(2013年)でドイツで7番目に人口が多い都市である。1962年に約70万人というピークがあったが、それ以降は郊外への人口移動などにより減少傾向にある。約11万人の外国人が居住しておりその約30%がトルコ人、ギリシア人、イタリア人である。
日本人居住者は約5千人で、ヨーロッパではロンドン、パリに次ぐ3番目、ドイツでは最大の居住者数となっている。

市には州政府・州議会の他、ドイツの鉄鋼・機械・エネルギー分野の主要企業の本社を始め、経済団体・労働団体・工業団体の本部や多数の外国企業の支店などが所在し、州の政治や経済の中心地となっている。加えて、自動車道路・鉄道・水運、及び航空路などの交通の要でもあり、又、ヨーロッパ先進工業地域のほぼ中心に位置するという有利な立地条件でヨーロッパにおける一大経済産業都市としての風格を備えるに至っている。
こうしたことから、1950年代以降当地を中心に日系企業の進出が進み、デュッセルドルフ日本商工会議所の会員数(日本企業の子会社・支店等)は582社(2014年12月)に及び、ヨーロッパにおける日本人の経済活動の最大進出拠点となっている。又、デュッセルドルフ日本クラブの会員数は約4000名(2013年)で、わが国にとってドイツ国内でもっとも緊密な関係を有する地域である。マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングによる世界で最も居住に適した都市の2014年の調査では、世界で6位、ドイツ国内では1位となっている。
デュッセルドルフ市は経済的な中心としてだけではなく、芸術的な分野でも知られた都市である。ヨーゼフ・ボイスやアウグスト・マッケ、ゲルハルト・リヒター、ジグマー・ポルケ、アンドレアス・グルスキーといった画家や写真家などの芸術家を生み出している。電子音楽の先駆者で影響を与えたクラフトワークも、デュッセルドルフを起点としている。


気 候
気候は他のドイツの諸都市とそれほど変わらないが、ライン川の影響もあり、北部ドイツまたは南部ドイツに比べ年平均気温は摂氏11度前後と比較的温暖である。夏は通常短く、それほど暑くはないが近年は暑くなり摂氏30度を越えることも珍しくない。冬はマイナス10度近くなることもあるが積雪は珍しい。(6~8月の日中平均温度は摂氏18度、12~2月は摂氏3度位である。)雨量はそれほど多くはないが年間を通じて平均的に降雨があり、年間降雨量は約930mmである。日照時間は日本に比べて極めて少ないが夏季の日照時間は長く夜10時くらいまで明るい。(5~6月の平均月間日照時間は180時間を超えるが、11~2月の平均月間日照時間は50時間位となる。)湿度は他のライン川沿いの都市と同様比較的高く、夏70%、冬は80%に達することもある。


地 理
デュッセルドルフ市は地理的にはノルトライン・ヴェストファーレン州西部、北緯51度14分(日本の樺太中央部と同じ)、東経6度47分に位置する。ライン川右岸(東側)を中心に両側に広がっており、街の名の由来であるライン川の支流「デュッセル川」がデルタ状に市街を流れている。市部は南北約25Km,東西約14Kmで、総面積は217平方Kmである。その全体が沖積層の上にあり、地層は泥、砂、粘土、砂利などの地質である。最高標高地点は市の東端のHubbelrath地区で165メートル、最低標高地点はライン川に面したWittlaer地区の28メートルである。

市内は10の行政区画(Bezirk)に分割されており、各々の区には独自の区議会と区長が存在する。これらの区はさらに地区に分割され、10の区の下に49の地区が存在する。住所などを言う際にこの49の地区名を使用する場合が多い。
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デュッセルドルフ小史
年代 デュッセルドルフ周辺での主な出来事 ドイツ全体の出来事
紀元前20万年~4万年 デュッセルドルフ市近郊ネアンデルタールに原始人類(ネアンデルタール人)が存在 clear
紀元前後 近郊都市ノイス、ツオンスなどの都市を形成したローマ人の侵攻がライン左岸までで終わり、デュッセルドルフはローマの影響を受けなかった ゲルマン民族大移動(375)、 コンラート一世最初のドイツ国王になる(911)、 オットー大帝戴冠、神聖ローマ帝国成立(962)
1158 デュッセルドルフが初めて史実に登場。ベルグ家がデュッセルドルフに勢力を拡大 大空位時代(1254-1273)
1288 現在の旧市街地区をベルグ家が領有した上、デュッセルドルフに都市のステイタスを与える ライン同盟(1254) ハンザ同盟(1283)の成立
1400 ベルグ公国最大の都市となる 金印勅書を公布(1356)
1614 相続争いの為、ベルグ公国が南ドイツのノイブルグ家の手に渡り、400年以上続いたベルグ家の統治が終わる ルターの宗教改革(1517)、 30年戦争(1618-1648)
17世紀後半 フィリップ・ヴィルヘルムがノイブルグ家の勢力を拡大し、ライン河西部のプファルツ選定侯領を引継ぐ プロイセン王国成立(1701)
1795 フランス革命軍によって占領される clear
1806 ナポレオンにより占領される(ケーニッヒスアレーはこの時代につくられたもの) 神聖ローマ帝国解体(1806)
1815 ウイーン会議の決定により、プロイセン王国の手に落ち、プロイセンはライン地域の首府をデュッセルドルフとはライバル関係にあるケルンに定める 対仏ドイツ開放戦争(1813-1815)、 ウイーン会議(1814)
1831 ライン船舶運行法により、ケルン市が保持していた物資集散権が撤廃され、デュッセルドルフは自由港のステイタスを回復(船舶運行が飛躍的に増加し、産業が急速に成長) clear
1838 ドイツで最初の鉄道がデュッセルドルフ―エアクラート間に施設される clear
1850~1870 ベルギーの実業家が最初の鉄鋼業を導入し、ポエスゲン兄弟が鉄鋼業を拡大発展させた他、ハイエがガラス産業を、フリンツ・ヘンケルがメッキ産業を導入し、着実に近代工業都市へと発展する ドイツ帝国の誕生(1871)、 ビスマルク体制(1862-90)、 普墺戦争(1866)、 普仏戦争(1870)
19世紀終~20世紀 貿易博覧会、工業・貿易・美術工芸品博覧会などの開催を通じヨーロッパの近代都市としての名を不動のものとする 第一次世界大戦(1914)
1921~1925 第一次世界大戦の結果、フランス軍による占領統治 ワイマール共和国成立(1919)、 ヒトラー総統に就任(1933)、 第二次世界大戦(1939)
1945 第二次大戦終了。 米国軍によるデュッセルドルフ開放 ドイツ無条件降伏(1945)
1946 英国占領軍の命令により、デュッセルドルフはノルトライン・ヴェストファーレン州の州都に指定され、同時に英国型の自治制度が導入される(戦争はデュッセルドルフにも大きな被害をもたらし、約2/3の建物が破壊され、人口は激減し、戦後再びゼロからのスタートとなる) 東西ドイツ分割(1949)
1950 第二次大戦後、英国によって管理されていた空港がドイツ側の手に戻される 西欧同盟・北大西洋条約加盟(1955)
1956 オペラハウスの新改築 ベルリンの壁建設(1961)
1967 総領事館開設 テレビZDF(国営第二放送)放送開始(1963)
1981 一部の地下鉄が開通 ミュンヘン・オリンピック(1972)
1987 庭園博覧会開催 テレビ民間放送開始(1987)
1988 デュッセルドルフ700年祭 ベルリンの壁崩壊(1989)
1996 州都50周年 東西ドイツ統一(1990)



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